こもれび日記

行田の忍城

こんにちは、やべです。 先日のブログで石田三成の忍城攻めに触れましたので、今日は忍城を紹介したいと思います。 忍城は関東七名城に数えられ、忍の浮き城とも呼ばれていました。この別名は石田三成の水攻めに耐え切ったことに由来しています。 徳川氏が関東を治めるようになると、忍城には家康の四男・松平忠吉が十万石で入城し、忍藩十万石の基礎ができあがりました。 ちなみに「うまい、うますぎる」で有名な十万石饅頭は忍藩の石高が十万石だったことからこの名前がつけられました。 江戸時代になると忍城には老中クラスの大名が次々と入城しています。知恵伊豆こと松平信綱や家光・家綱2代わたって老中を勤めた阿部忠秋などが有名どころでしょうか。このことから行田が江戸幕府にとって重要な防衛拠点だったことがわかります。   その後は廃藩置県に伴い忍城は廃城になり、城内の建築物などはほとんど撤去されてしまいました。現在、城跡は水城公園として整備されています。復元された模擬三階櫓。行田市博物館の一部になっています。   忍城には遺構があまりないのですが、本丸付近の土塁がわずかに現存しています

2012年5月28日